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写楽について松本清張の「一解決」

江戸東京博物館で「大浮世絵展」が11月19日から開催中です。前売り券購入済みで早く行きたいのですが、天気がここんとこ悪くて待機中です。歌麿、写楽、北斎、広重、国芳とまさに夢の競演です。

最近浮世絵もご無沙汰なんで、事前に予習をしとこうと本棚をごそごそしたら、こんな雑誌が見つかった。

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(表紙:二代目市川高麗蔵 敵討乗合話の志賀大七役)

存在をすっかり忘れていた別冊太陽「写楽」1975年2月号が出て来た。表紙は傷んでいて中は色褪せていた。この雑誌を購入した記憶がまったくない。ボロボロだから古本屋で買ったのかな?


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写楽と言えば、大首絵で役者の内面をとことん追求し、圧倒的な迫力で見るものに感動を与えます。また登場から実質わずか10ヶ月で消えている謎の絵師で、写楽が誰なのか諸説が入り乱れてます。

中味をペラペラと読んで面白かったのはあの松本清張が『写楽の謎の「一解決」』と持論を展開しています。ある「同好会」での講演を掲載したものです。これを読んだ記憶もなく、今回とっても興味深く読ませてもらいました。

要約すると、

①写楽が誰なのかまだ定説がない。玄人が分からないのに素人のわたしが分かるわけがない。
と謙遜しながら、
②阿波侯お抱え能役者で名前は斎藤十郎兵衛だという説、蔦屋重三郎=写楽などなど諸説がたくさんあるが、それぞれに疑問を持っている。
③蔦屋重三郎は稀代のプロデューサーで、ある意味ディレッタント(学問や芸術を趣味として愛好する人:管理人注)であったので結局商売に失敗する。採算を度外視して写楽をたくさん刷り、売れ行き不振で損失が出た。蔦屋は写楽に賭け過ぎた。
④何故蔦屋はそこまで写楽に力を入れて売り出そうとしたのか重要な問題だ。それは写楽が世に出る前に歌麿が蔦屋のところを出て行ったからである。
⑤歌麿にとって蔦屋は恩人である。歌麿はその恩人の蔦屋のもとをあと脚でけるようにして飛び出し、商売敵の版元から自分の作品をどんどん出させた。
⑥歌麿を育て、投資し、人気が出て蔦屋にとってドル箱となり、これから大いに稼がせてもらおうと思っていた矢先に去られた。蔦屋にとってはらわたが煮えかえる思いだっただろう。
⑥人気が出た歌麿にとって蔦屋に拘束されることや、安い画料に嫌気がさしていた。そんな折他の版元からの誘惑があったに違いない。
⑦歌麿がいなくなったあと、蔦屋は歌麿とは対照的な「醜陋(しゅうろう)の美」(醜陋:みにくく卑しいこと:管理人注)をもってする写楽が最適であった。当たるかどうか判らないけど写楽の売り出しには蔦屋の必死な賭けがあった。
⑧蔦屋の思惑が外れて写楽の絵は大衆受けしなかった。当時に役者絵は現在で言えば俳優のブロマイドです。その購買層は芝居好きの婦女が主です。彼の役者絵は漫画のようで、まるで猿の顔のようです。こういう絵を役者も劇場側も好むはずがない。
⑨写楽は先輩や同期の画家の誰からも影響を受けていない。その画は彼の独創です。これはおどろくべきことで、天才というほかない。写楽ははじめから写楽として出現している。おどろくべきことだ。
⑩写楽の絵の変遷は四つのグループに分類されている。第一グループは大判、雲母摺り、大首絵・・・・中略・・・第四グループは細判。市民の興味が役者だけから芝居の筋、場面の構成に傾いて行ったという考えがある。
⑪この変化はむしろ蔦屋のほうから考えた。金をかけた雲母摺りの大首絵がまったく不評でさっぱり売れず返品の山となった。そこで金のかかる雲母摺りを止め、安上がりの無地のバックにしたり、大判から間判を出すようになる。さらに写楽の間判は細判になって行った。そして最後には組み写真のようになっていった。すべて蔦屋の指示によるものです。これは完全に大衆受けする通俗作品だ。こうなると写楽も嫌気がさしてやる気をなくして行った。写楽の絵の衰退期です。
⑫かくして写楽はデビューから10ヶ月で版画の世界から消えていった。写楽をクビにしたか、写楽の方から去っていったのか分からない。それから先、写楽の消息は絶えてしまう。

ここから松本清張のあっとおどろく見解が展開される。本人曰く、「写楽についての無責任な一解決」の意味ととって欲しい。

⑬写楽は少々精神異常者ではなかったのか。そう解することによって、写楽の描く役者の特異な面相ー後世の美術史家はそれを写楽の「強い個性」というが、その顔の謎が分かるようである。「強い個性」とは、彼の常人でない神経からだ。写楽が精神病者とすれば梅毒に罹っていたのではないか。彼の絵がいきなりデフォルメの顔で出たというのも彼の異常視神経からきたと思われる。このように写楽を想像すると、ゴッホやゴーギャンの場合に連想が走る。同じように梅毒に侵されていたと推測される。

そして最後に、

⑭写楽は忽然と消えた。写楽の役者絵が消えたのは彼が死亡したからである。写楽の全身は既に梅毒に荒らされていた。写楽はまもなく廃人となり、江戸の裏長屋かまたは路傍で死んでいったかもしれない。
⑮写楽は「写楽」でいい。その画を見ているだけでいい。そこに「写楽」が存在しているからである。その画家の不明な経歴を無理に詮議することもない。「科学的」と称して僅かな資料を拡大して見せ、その上に解釈を歪めることもない。

もっと簡潔にまとめようと思いましたが、長文になってしまいました。自分も写楽の正体探しにはほとんど興味がありません。ただただ眺めているだけでいいです。原文になるべく忠実に書いたつもりですが、誤解釈をしていないことを願うばかりです。またこの雑誌が今から44年前の出版ということも考慮して頂きたいと思います。
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  1. 2019/11/28(木) 09:22:53|
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