先日小田原の古い建物を探してあちこち回りましたが、その続編です。ただこれを機会にちょっと調べたら、小田原市内には
登録有形文化財の建造物が23件かあることが分かりました。今回はその内何件か回ってみました。

今回は写真に撮るだけではなく、小田原から赤い電車(1000形)に乗って箱根湯本方面へ向かいます。車内の座席は観光客でびっちり埋まってます。そして風祭で降りました。

この駅で降りるのは初めてかな。駅から導かれるとおりに進めば、すごい所に入っちゃいました。

鈴廣蒲鉾本店/鈴なり市場でした。その品数の多さと広いスペースに驚きました。

小田原名産の板かまぼこから、揚げかまぼこ、焼きかまぼこなど様々な種類がありました。早い時間なんで観光客はまだ少なかったんですが、大勢の従業員の方が準備に忙しそうでした。ここへ来たらなんでも買いたくなっちゃいますね。

そして交通量のめちゃ多い1号線を渡れば最初のお目当ての場所に到着です。
千世倭樓(ちょうわろう)です。
千世倭樓(旧菊地家住宅)の主屋と土蔵 (平成14年8月21日登録)
秋田県平鹿郡地方で江戸時代末期から明治初期頃に広まった曲屋形式を継承した住宅。木造一部2階建で、入母屋造の屋根を架け、豪壮な外観とする。直線状の梁を用いた梁組、貫と束を多用した軸組や小屋組、床など優れた飾りを持つ座敷など、近代の造形が顕著に見られる。(明治中期建築/平成12年移築) 小田原市公式サイトより江戸末期から明治にかけて、全国的にも屈指の山林王が自宅として建てたもので、完成には20年有余かかったとされています。

仰ぎ見る巨大な建物に驚かされます。旬の割烹「潮の音」として料理を提供しています。もっといいアングルで写真を撮りたかったんですが、今日もまた強烈な逆光に悩まされ思うようにいかず。

そしてこれが同じく登録有形文化財に土蔵です。中ではそば「美蔵(みくら)」が営業しています。名残の紅葉が土蔵の白壁にアクセントとなっています。

合掌造りの離れに通じる中庭に入れたので覗いてみました。少し色付いてますが、これから全面的に紅葉するのかな。色付いたらさぞきれいで風情のある趣となるでしょうね。
あれ、どこかで見かけた電車がみえたぞ。

2019年7月18日に引退した箱根登山鉄道のモハ1型107号がここに展示されてました。引退車両を譲りうけたんですね。ここは「CAFE107」になっていて、107号の中でくつろげます。
ここから1号線を箱根板橋方面に歩きます。途中有名な踏切で初めて狙ってみましたが、全然ダメ。皆さんどこから撮っているのかな。上板橋の信号からわき道に入っていきます。目指すのは旧内野醤油店です。

奥まった所にあるのかなと思っていたら、通りに面していたのですぐ見つかりました。この通りは旧東海道だったんですね、初めて知った。
登録有形文化財・旧内野醤油店(平成29年10月27日登録)
旧東海道に面している醤油醸造業を営んでいた内野家の住居部分を含んだ建物群です。
店舗部は土蔵造で外壁は腰を石貼、上方を海鼠(なまこ)壁とし、袖壁を設けるなど防火対策を講じています。東端の店舗入り口にアーチをつくり洋風意匠をみせています。
店舗兼主屋の西に張り出す新座敷は、瀟洒な意匠の隠居部屋です。
店蔵は外壁モルタル塗で正面の腰を洗出し仕上げとし、店舗兼主屋と共に重厚な街路景観を形成しています。
内蔵形式となる文庫蔵、醸造所の施設としての穀藏、工場も大正時代の建築です。稲荷社や表塀(工作物として登録されました)とともに保存を図ります。小田原市公式サイトより。

登録有形文化財の対象となるのは、旧内野醤油店の店舗兼主屋・新座敷・店蔵・文庫蔵・穀蔵・工場・稲荷社・表塀の計8件です。旧内野醤油店は、初代・内野種三郎氏が開業、3代にわたり醤油醸造業を営んできました。店舗兼主屋は1903(明治36)年に建てられた土蔵造り風の建物で、なまこ壁や石造アーチなど和洋折衷の意匠が取り入れられています。敷地内には工場のほか3つの蔵があり、明治〜大正前期にかけて建造されたものです。

現在は不定期で有料の一般公開をしているようですが、コロナではっきりしていないかも。

この通りは見所がたくさんありました。

2019年3月30日みんなに惜しまれつつお店を閉じた「下田豆腐店」です。1900年頃創業し、関東大震災で被害を受け、1932年に建て替えた木造2階建ての店舗は、お馴染みの「出桁(だしげた)造り」です。屋根から突き出ている煙突のようなものは何でしょうか。

こちらの個人宅のお宅は意外にも洋風ですね。隣の土蔵も後ろに回ってじっくり観察しました。

畳屋さんがありました。疊という字が懐かしい。古い建物と中で話し込んでいるおじさんがマッチしていい味出してますね。写真をアップした以外にも、古い興味を引く個人宅がいくつかありました。いやあ面白い通りでしたね。新幹線、小田急線、東海道線の下をくぐり、南町、本町にやってきました。風祭から歩くの大変かなと思っていましたが、写真を撮りながら来たら距離を全く感じませんでした。小田原市の資料や皆さんのサイトを参考にさせて頂きました。後半に続きます。
(撮影2020.11.16)
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