小田原の登録有形文化財と古い建物を探して歩く 2
- 2020/11/18
- 06:27
風祭、板橋を歩き、線路をくぐり南町、本町にやってきました。1号線沿いは前回何ヶ所か見たんですが、見逃したところがありました。

前回見た老舗青果卸売店ヤオタメの隣に片野呉服店があります。片野呉服店は大正14年(1925年)築の看板建築です。店の前で写真を撮っていたら「私の家を撮ってくれてるのね」と女性が話しかけてきました。聞けば片野呉服店の奥様でした。いろいろ立ち話をしていると店の中に案内してくれました。ご主人も出てきてこの店舗を建てた当時のいきさつや、お店のことなどいろいろ話してくれました。

お店の写真を撮らせてもらいましたが、きれいなお着物や反物が並べられていて、めったに見られない呉服屋さんを体験しました。江戸時代であれば、店先に番頭さんが座って反物をくるくる巻いている姿が見られるんだろうね。今回のコロナ禍で飲食業ばかりでなく、この業種も大変なことになっているということでした。

大正5年創業の老舗和菓子店の松坂屋本店です。すでにお店は閉じられています。栄町にあったお店も最近閉店になりました。小田原を代表する銘菓「コケッコー」の製造終了を惜しむ声が多かったようです。

L’OFFICINA DEL CIBO(ロフィチーナ デル チーボ)です。大正14年(1925年)に建てられた洋館で、アンティーク家具に囲まれてイタリア料理が楽しめます。

駅近くのお魚屋さんのあるこの一角が賑わってました。お店の方の威勢のいい声が響きます。

手前のグロテスクな魚に興味津々で皆さんがのぞき込んでいきます。「地物 長すみ」(左)「「ヤガラ」(右)と書かれた商品札が置かれてます。結構いいお値段です。

小田原駅に戻り、東海道線に乗り国府津に向かいます。

ホームで見送った185系の「踊り子」です。まあちょいと軽く撮ってますが、引退する来春まで沿線は大変なことになるでしょうね。近づきたくないけど・・どうしましょう(笑)。
国府津に到着。改札口が小田原寄りの一番端にあり探しちゃいました。駅近くに3件の登録有形文化財があります。1934年に丹那トンネルが開通し、東海道線が熱海経由に変わるまで、国府津~沼津が東海道線のルートでした。そのため国府津の街は栄えたそうです。国府津~沼津間は支線の御殿場線になりました。


神戸屋ふるや店 (平成16年6月9日登録)
国府津駅から国道1号線に出る角地に建つ。タクシー会社の車庫兼社屋として建てられたもので、現在では車庫部分を店舗として利用している。国府津に多く見られる看板建築(モルタル塗で洋風石造建築の外観を模した建物)の好例。小田原市公式サイトより。
駅前なんですぐ分かります。建築は1935年ごろです。ちょっと見きれいすぎて古い建物の実感が湧かない。塗りなおしているように見えますが、どうなんでしょう。30年ぐらい前の古い写真を見ると店の前はアーケードがありました。現在はパン屋さんになっています。
1号線を小田原方面に数分歩きます。

長谷川家住宅店舗及び主屋 (平成16年6月9日登録)
昭和2年に陶器店として建てられた店舗兼住宅。間口6間をもつ大型の木造2階建て町屋で、国府津に多く見られる出桁造(桁を建物の前面に何本も突き出させ、その上に軒をのせ、軒を深く見せる)と呼ばれる近代和風建築の好例。小田原市公式サイトより。
車がびんびん通る1号線沿いにありました。店舗は昭和2年(1927年)に建築。関東大震災のあと復興されました。

長谷川家住宅石蔵 (平成16年6月9日登録)
長谷川家住宅の国道をはさんだ向かい側に立つ長谷川家の石蔵。木骨石造2階建てで、古写真により大正5年の建築であることが知られる。関東大震災後に設けられた補強帯鉄が外観のアクセントとなっている。小田原市公式サイトより。
1号線の向かい側の路地の先に長谷川家の石蔵が見えるのですぐ分かります。

近寄って補強帯鉄に触ってみます。もっとゆっくり見ていたいのですが、御殿場線の電車が迫ってます。1時間に1本しかないのではずせません。駅まで急いで戻ります。

途中見かけた金物屋の「神田屋商店」の建物も必見ですね。古い写真を見ると上部はこんなになってなくて、真っ白のきれいな建物でした。1920年代(昭和初期)の建築と思われます。

そしてこの建物はなんだろう。調べている時間がない、急げ。未確認ですが、元は呉服屋さんという情報がありました。

国府津から御殿場線に乗り松田に着きました。改札を出る時PASMOがエラーで出られない。窓口で清算します。不便ですね(御殿場線はJR東海の鉄道路線)。小田原市の資料、皆さんのサイトを参考にさせて頂きました。
(撮影2020.11.16)

前回見た老舗青果卸売店ヤオタメの隣に片野呉服店があります。片野呉服店は大正14年(1925年)築の看板建築です。店の前で写真を撮っていたら「私の家を撮ってくれてるのね」と女性が話しかけてきました。聞けば片野呉服店の奥様でした。いろいろ立ち話をしていると店の中に案内してくれました。ご主人も出てきてこの店舗を建てた当時のいきさつや、お店のことなどいろいろ話してくれました。

お店の写真を撮らせてもらいましたが、きれいなお着物や反物が並べられていて、めったに見られない呉服屋さんを体験しました。江戸時代であれば、店先に番頭さんが座って反物をくるくる巻いている姿が見られるんだろうね。今回のコロナ禍で飲食業ばかりでなく、この業種も大変なことになっているということでした。

大正5年創業の老舗和菓子店の松坂屋本店です。すでにお店は閉じられています。栄町にあったお店も最近閉店になりました。小田原を代表する銘菓「コケッコー」の製造終了を惜しむ声が多かったようです。

L’OFFICINA DEL CIBO(ロフィチーナ デル チーボ)です。大正14年(1925年)に建てられた洋館で、アンティーク家具に囲まれてイタリア料理が楽しめます。

駅近くのお魚屋さんのあるこの一角が賑わってました。お店の方の威勢のいい声が響きます。

手前のグロテスクな魚に興味津々で皆さんがのぞき込んでいきます。「地物 長すみ」(左)「「ヤガラ」(右)と書かれた商品札が置かれてます。結構いいお値段です。

小田原駅に戻り、東海道線に乗り国府津に向かいます。

ホームで見送った185系の「踊り子」です。まあちょいと軽く撮ってますが、引退する来春まで沿線は大変なことになるでしょうね。近づきたくないけど・・どうしましょう(笑)。
国府津に到着。改札口が小田原寄りの一番端にあり探しちゃいました。駅近くに3件の登録有形文化財があります。1934年に丹那トンネルが開通し、東海道線が熱海経由に変わるまで、国府津~沼津が東海道線のルートでした。そのため国府津の街は栄えたそうです。国府津~沼津間は支線の御殿場線になりました。


神戸屋ふるや店 (平成16年6月9日登録)
国府津駅から国道1号線に出る角地に建つ。タクシー会社の車庫兼社屋として建てられたもので、現在では車庫部分を店舗として利用している。国府津に多く見られる看板建築(モルタル塗で洋風石造建築の外観を模した建物)の好例。小田原市公式サイトより。
駅前なんですぐ分かります。建築は1935年ごろです。ちょっと見きれいすぎて古い建物の実感が湧かない。塗りなおしているように見えますが、どうなんでしょう。30年ぐらい前の古い写真を見ると店の前はアーケードがありました。現在はパン屋さんになっています。
1号線を小田原方面に数分歩きます。

長谷川家住宅店舗及び主屋 (平成16年6月9日登録)
昭和2年に陶器店として建てられた店舗兼住宅。間口6間をもつ大型の木造2階建て町屋で、国府津に多く見られる出桁造(桁を建物の前面に何本も突き出させ、その上に軒をのせ、軒を深く見せる)と呼ばれる近代和風建築の好例。小田原市公式サイトより。
車がびんびん通る1号線沿いにありました。店舗は昭和2年(1927年)に建築。関東大震災のあと復興されました。

長谷川家住宅石蔵 (平成16年6月9日登録)
長谷川家住宅の国道をはさんだ向かい側に立つ長谷川家の石蔵。木骨石造2階建てで、古写真により大正5年の建築であることが知られる。関東大震災後に設けられた補強帯鉄が外観のアクセントとなっている。小田原市公式サイトより。
1号線の向かい側の路地の先に長谷川家の石蔵が見えるのですぐ分かります。

近寄って補強帯鉄に触ってみます。もっとゆっくり見ていたいのですが、御殿場線の電車が迫ってます。1時間に1本しかないのではずせません。駅まで急いで戻ります。

途中見かけた金物屋の「神田屋商店」の建物も必見ですね。古い写真を見ると上部はこんなになってなくて、真っ白のきれいな建物でした。1920年代(昭和初期)の建築と思われます。

そしてこの建物はなんだろう。調べている時間がない、急げ。未確認ですが、元は呉服屋さんという情報がありました。

国府津から御殿場線に乗り松田に着きました。改札を出る時PASMOがエラーで出られない。窓口で清算します。不便ですね(御殿場線はJR東海の鉄道路線)。小田原市の資料、皆さんのサイトを参考にさせて頂きました。
(撮影2020.11.16)
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