小田原の登録有形文化財や古い建物を2回にわたって回ってきましたが、しつこく第3回目ということになりました。最初に向かったのが箱根板橋近くの1号線沿いにある小田原市役所旧大窪支所です。

昭和3年(1928年)に建てられた木造2階建て、寄棟屋根に下見板張りの外壁です。旧大窪村役場としての業務を行い、その後小田原市の大窪支所として届出の受付や証明書の発行などの業務を行ってきましたが、2019年3月15日をもって業務を終了しました。建てられてから90年以上経っているのに外壁の古さはあまり感じませんでした。丁寧に修理を重ねてきたんでしょうね。

建物の隣に小さな洋風の蔵がありました。扉の金具の錆具合が年月を感じさせます。ちょっとした突起物の装飾にニヤッとします。将来的にこの建物はどうなるのか分かりませんが、出来れば保存して残して欲しいですね。
さて今回は下図に示した建物を訪ねてみました。番号は回った順番です。名所見物的にならないようにしたいのですが、そこは素人の悲しさ、知識がないのでほんの軽くさらっと書いてますのでご勘弁を。



風祭の駅から坂を上ったところに国立病院機構箱根病院の建物がありました。戦前は、日中戦争により負傷した戦傷脊損患者を収容したことがあり、戦傷脊損療養所としては全国唯一の施設だったそうです。この旧本館は昭和11年(1936年)に建てられ、1階は行動、2階は会議室として使われていました。ポツンと立っている小さな塔がかわいいです。扉が開いていたので入口から中をそおっと覗いてみましたが、放置されている感じがして、現在は使われてないと思います。

近づいて見ると外壁はボロボロですね。修理、修復をすることもなく年月が経っているようです。

建物の裏手に回ってみましたが、荒れてましたね。

入口に消火用の古いポンプが置かれてました。現在の建物の状況を見ていると保存はむつかしく、いづれは取り壊しが行われる感じがしますが(個人的な感想です)・・・。
<反省>
コロナ禍のこの時期、事前に立ち入り禁止なのか確認しました。面会の制限が案内されていましたが、院内に入らなければ外からの撮影はいいのかと勝手に判断しました。撮影時間はほんの短い時間だったんですが、後で考えるとまずかったかもしれません。反省しています。さて、市の中心部に戻ります。

諸白小路を歩くと小田原聖十字教会がありました。この場所に教会が建てられたのが大正7年(1918年)。関東大震災による倒壊後建て直したのが昭和2年(1927年)でした。付属の花園幼稚園が隣にあります。子供のいる施設付近では長いは無用、怪しまれるのでさっと引き上げます。
本町交差点方面に歩きます。

この界隈は最近よく歩いているんですが、このお店は気が付かなかった。『もなか』にこだわる専門店の小田原種秀でした。もち米より最中の薄皮を製造し、全国各地のお店に卸すという製造卸業を営んでいます。餡は北海道の最高級の小豆を使用し、三日間かけて、丁寧に煮上げています。

というお店なんですが、何よりもニヤッと笑わせるのは、お店の壁にへばりついている忍者ですね。こんなのがあるとは気が付かなかったなあ。

左のわき道に入っていくと、板張りの古い建物が見えてきました、いいね。

店の前でパチパチ写真を撮っていると中からお嬢さんが出てきました。勝手に写真撮るなとお叱りを受けるのかなあと思っていたら、心配ご無用。お店の説明をしてくれました。昭和3年(1928年)に建てられた「旧瀬戸タバコ店」の店舗部分をそのまま活用しています。説明で分からないことがあったので後で調べたら「
LOBBY ODAWARA」でした。
デザイン会社「デザインこねこ株式会社」が運営する「地域の入り口」をテーマにした「店舗」であり「ギャラリー」であり「イベント会場」です。オリジナルグッズや、地域のいいものを集めた常設ショップのほか、展覧会やワークショップなどの様々な催しものを行い、地域の方も、観光客の方も集まり、そしてそこで混ざり合う。そんなスペースを目指しています。最後に了解を撮って写真をパチリ、ブログのアップも了解を得ました。
自分が小田原の古い建物を探して歩いていると話したら、すぐ近くにあるこのお店を紹介して頂きました。

百余年の歴史を刻む鰻と鳥料理の老舗「柏又」がありました。

黒板塀と木造二階建てのゆったりとした店構えです。数寄屋風の和風建築で、正確な建築年代は不明ですが、大正期に建てられたようです。店の奥からいい匂いがしてきました。ちょうど昼時、ゴクン。続きます。
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