小田原の古い建物を探して街歩き PART 3 ー ②
- 2020/12/05
- 09:26
小田原城址公園の二の丸にやってきました。公園内は意外と古い建物は少なく、天守閣や常盤木門、銅門は戦後に建てられたものです。そんな中でこの二の丸観光案内所は昭和初期に建てられたものです。

この建物の変遷を追いかけると、
昭和8年(1933年)「小田原町図書館」として建設→ 1940年「小田原市図書館」に改称 → 1955年「小田原市郷土文化館」として開館 → 市役所の分庁舎 → 1976年「中央連絡所」として開設 → 1994年「二の丸観光案内所」となり現在に至る。
見た通りすっくと立った姿はスマートで好感が持てますね。下見板張り、縦長の上げ下げ窓など外観は一見洋館風ですが、屋根は和風という和洋折衷の建物です。
<下見板張り>
建物の外壁に、長い板材を横に用いて、板の下端がその下の板の上端に少し重なるように張ること。板を平坦(へいたん)に張るよりも雨水の浸透を防ぎやすいので、和風、洋風とも木造建築の外壁に使用される。

正面玄関には「小田原城総合管理事務所」の看板がかかっていました。

小田原ガイド協会の方が城址公園内や小田原の観光スポット・史跡などをガイドします。城址公園内のガイドのみ、当日の依頼は無料ですが、事前予約は有料です。

城内にある小田原城歴史見聞館です。昭和4年(1929年)小田原第2尋常小学校の講堂として建てられました。平成になり小学校が移転し、歴史博物館となりました。そして2019年「NINJA館」としてリニューアルされました。メインのコンテンツには、戦国時代の北条氏を陰で支えたと言われる風魔忍者をモチーフに据え、忍者の存在が学べ、新鮮な体験・体感ができる展示となっています。昭和の面影がほとんどなく、新しすぎて個人的にはちょっとガッカリです。

裏手に回って名残の紅葉を見たらモチベーション再びアップしました。建物は小田原城歴史見聞館です。

地面には色とりどりの紅葉の落ち葉がかき集められていて、20~30cmの高さになっていました。その中をずぶずぶと足を取られながら進むのも奇妙な感じです。

遠くに赤い学橋が見えます。この学橋は江戸時代には無いもので、昭和4年(1929年)に小田原第2尋常小学校が二の丸に移転した際に竣工しました。現在の学橋は昭和24年(1949)年に再建されたものです。

城址公園の通りの向かい側に小田原公共職業安定所があります・・いや、つい最近まであったんです。11月24日に新庁舎に移転して、ここでの業務は終了しました。移転先はなんと昨日(12月4日)オープンした「ミナカ小田原」の9階です。昭和5年(1930年)の建築です。外壁の化粧直しはしています。古い建物ですが、地味な造りで見た目あまり印象に残らないですね。

1号線が直角に曲がる陸橋脇に中央労働金庫小田原支店の建物が見えます。昭和3年(1928年)建築の明和銀行本店として建設されました。横浜銀行旧小田原支店になった後、中央労働金庫の小田原支店として現在に至ってます。RC造の銀行建築で曲面が美しく優雅です。似たような建築物を横浜で見かけた気がします。ただこの陸橋がなかったら見た目はもっといいのにね。

国際通りにやってきました。呉服のさくらいです。元協和銀行の支店だけあってRC造の立派な銀行建築です。その後店舗に改装されました。お店は閉まってますが、この通りはいつ来てもほとんどお店のシャッターが下りてます。前述の通り、12月4日に小田原駅前に商業施設がオープンしました。近年の駅前集中の賑わいに比べると駅から離れた商店街のさびれようにはよそ者の自分でも心が痛みます。

通りを先に進み狭い路地を入っていくと、童話の絵本に出てきそうな鐘楼のある、白い可愛らしい聖堂が見えてきます。カトリック小田原教会です。でも近づくと見上げるような立派な建物です。昭和6年(1931年)の建設です。

正面から見たら横に回ってみましょう。また違った印象で、その大きさに驚きます。

さらに先へ進むと自分好みの古い町家の酒屋さんがありました。中川万吉酒店です。
さてこの後、最後の訪問場所に向かうのですが、道がよく分からない。東海道線、東海道新幹線、大雄山線の下を通り、最後に小田急線の踏切を渡った所に目的の建物がありました.。もしかしたらすでに取り壊されていないか心配でしたが、ホッと。

三ツ輪産業株式会社神奈川支店小田原営業所です。想像してたより小さな建物でした。現在もこの建物の中で仕事をされてます。 三ツ輪産業の業務内容は、LP ガスの卸売、小売・石油、固形燃料の卸売、小売 ・電力の卸売、小売 ・宅配水事業 ・リフォーム事業、他です。
さてこの建物は、はっきりしませんが、昭和5年(1930年)、あるいは15年(1940年)と言われています。神奈川県では今ではほとんど残っていない戦前の木造事務所建築だそうです。当然ですが外壁や屋根の塗装は何度もやられています。ちょうど作業をしていた方に撮影の了解を取ったんですが、なんでこの建物の撮影??と同僚の方と話されてました。そうかもしれない(笑)。
小田急線沿いの道を歩いて小田原駅に向かったんですが、途中いろいろ描かれた元小田原少年院のコンクリート塀の横を通りました。2019年3月に閉鎖された少年院の中には古い建物がありました。大正13~15年(1924~1926年)建てられた少年院庁舎が代表的な建物です。閉鎖前は外から自由に写真が撮れたのか不明です。

駅前東通り商店街です。守屋のパンが懐かしい。「お腹も心も元気に!おいしいもの横丁」の横断幕が商店街の入り口に掲げられてました。

地元の名士、二宮金次郎さんもマスクをかけてます。今回はこれでおしまいです。3連続の小田原巡りもこれでひとまず終了です。まだまだ探せば知られていない古い建物が小田原の街にあるかもしれません。これからはそんな建物を探してみます。今回の記事を書くあたっては、「近代建築散歩 東京・横浜編」(小学館)や皆さんのブログを参考にさせて頂きました。
(撮影日2020.12.01、2020.12.03)

この建物の変遷を追いかけると、
昭和8年(1933年)「小田原町図書館」として建設→ 1940年「小田原市図書館」に改称 → 1955年「小田原市郷土文化館」として開館 → 市役所の分庁舎 → 1976年「中央連絡所」として開設 → 1994年「二の丸観光案内所」となり現在に至る。
見た通りすっくと立った姿はスマートで好感が持てますね。下見板張り、縦長の上げ下げ窓など外観は一見洋館風ですが、屋根は和風という和洋折衷の建物です。
<下見板張り>
建物の外壁に、長い板材を横に用いて、板の下端がその下の板の上端に少し重なるように張ること。板を平坦(へいたん)に張るよりも雨水の浸透を防ぎやすいので、和風、洋風とも木造建築の外壁に使用される。

正面玄関には「小田原城総合管理事務所」の看板がかかっていました。

小田原ガイド協会の方が城址公園内や小田原の観光スポット・史跡などをガイドします。城址公園内のガイドのみ、当日の依頼は無料ですが、事前予約は有料です。

城内にある小田原城歴史見聞館です。昭和4年(1929年)小田原第2尋常小学校の講堂として建てられました。平成になり小学校が移転し、歴史博物館となりました。そして2019年「NINJA館」としてリニューアルされました。メインのコンテンツには、戦国時代の北条氏を陰で支えたと言われる風魔忍者をモチーフに据え、忍者の存在が学べ、新鮮な体験・体感ができる展示となっています。昭和の面影がほとんどなく、新しすぎて個人的にはちょっとガッカリです。

裏手に回って名残の紅葉を見たらモチベーション再びアップしました。建物は小田原城歴史見聞館です。

地面には色とりどりの紅葉の落ち葉がかき集められていて、20~30cmの高さになっていました。その中をずぶずぶと足を取られながら進むのも奇妙な感じです。

遠くに赤い学橋が見えます。この学橋は江戸時代には無いもので、昭和4年(1929年)に小田原第2尋常小学校が二の丸に移転した際に竣工しました。現在の学橋は昭和24年(1949)年に再建されたものです。

城址公園の通りの向かい側に小田原公共職業安定所があります・・いや、つい最近まであったんです。11月24日に新庁舎に移転して、ここでの業務は終了しました。移転先はなんと昨日(12月4日)オープンした「ミナカ小田原」の9階です。昭和5年(1930年)の建築です。外壁の化粧直しはしています。古い建物ですが、地味な造りで見た目あまり印象に残らないですね。

1号線が直角に曲がる陸橋脇に中央労働金庫小田原支店の建物が見えます。昭和3年(1928年)建築の明和銀行本店として建設されました。横浜銀行旧小田原支店になった後、中央労働金庫の小田原支店として現在に至ってます。RC造の銀行建築で曲面が美しく優雅です。似たような建築物を横浜で見かけた気がします。ただこの陸橋がなかったら見た目はもっといいのにね。

国際通りにやってきました。呉服のさくらいです。元協和銀行の支店だけあってRC造の立派な銀行建築です。その後店舗に改装されました。お店は閉まってますが、この通りはいつ来てもほとんどお店のシャッターが下りてます。前述の通り、12月4日に小田原駅前に商業施設がオープンしました。近年の駅前集中の賑わいに比べると駅から離れた商店街のさびれようにはよそ者の自分でも心が痛みます。

通りを先に進み狭い路地を入っていくと、童話の絵本に出てきそうな鐘楼のある、白い可愛らしい聖堂が見えてきます。カトリック小田原教会です。でも近づくと見上げるような立派な建物です。昭和6年(1931年)の建設です。

正面から見たら横に回ってみましょう。また違った印象で、その大きさに驚きます。

さらに先へ進むと自分好みの古い町家の酒屋さんがありました。中川万吉酒店です。
さてこの後、最後の訪問場所に向かうのですが、道がよく分からない。東海道線、東海道新幹線、大雄山線の下を通り、最後に小田急線の踏切を渡った所に目的の建物がありました.。もしかしたらすでに取り壊されていないか心配でしたが、ホッと。

三ツ輪産業株式会社神奈川支店小田原営業所です。想像してたより小さな建物でした。現在もこの建物の中で仕事をされてます。 三ツ輪産業の業務内容は、LP ガスの卸売、小売・石油、固形燃料の卸売、小売 ・電力の卸売、小売 ・宅配水事業 ・リフォーム事業、他です。
さてこの建物は、はっきりしませんが、昭和5年(1930年)、あるいは15年(1940年)と言われています。神奈川県では今ではほとんど残っていない戦前の木造事務所建築だそうです。当然ですが外壁や屋根の塗装は何度もやられています。ちょうど作業をしていた方に撮影の了解を取ったんですが、なんでこの建物の撮影??と同僚の方と話されてました。そうかもしれない(笑)。
小田急線沿いの道を歩いて小田原駅に向かったんですが、途中いろいろ描かれた元小田原少年院のコンクリート塀の横を通りました。2019年3月に閉鎖された少年院の中には古い建物がありました。大正13~15年(1924~1926年)建てられた少年院庁舎が代表的な建物です。閉鎖前は外から自由に写真が撮れたのか不明です。

駅前東通り商店街です。守屋のパンが懐かしい。「お腹も心も元気に!おいしいもの横丁」の横断幕が商店街の入り口に掲げられてました。

地元の名士、二宮金次郎さんもマスクをかけてます。今回はこれでおしまいです。3連続の小田原巡りもこれでひとまず終了です。まだまだ探せば知られていない古い建物が小田原の街にあるかもしれません。これからはそんな建物を探してみます。今回の記事を書くあたっては、「近代建築散歩 東京・横浜編」(小学館)や皆さんのブログを参考にさせて頂きました。
(撮影日2020.12.01、2020.12.03)
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